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“くろまうす”こと粕谷幸司は、KASUYA.net - かすやどっとねっとに移転しました。

シナハン-Scenario Hunting-96

がっつり素人目線のPRマン“くろまうす”がお送りする、忍者のサービスについてだったり、小ネタだったり日常に転がるニュースだったり…よろずテーマの忍者ブログ。


Apr 01,2026

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  • 2026.04.01 02:01

こんにちわ!文章ではなく会話好き。
しゃべるように書くから、頻繁に「文章が…」とご指摘をいただきます。
くちから生まれて26年?くろまうすです。

ドコモとソフトバンク、夏モデル発表は5月18日」というニュースが駆け巡っている昨今。
僕もケータイが好きなので、その新商品にはワクワクしています。

ところで。
そんな携帯電話のニュースやブログ記事を見ていると頻繁に目にする「ガラケー」。
皆さんって、この言葉、当たり前に知ってました??

お恥ずかしながら僕、この言葉を初めて目に・耳にした時、何のことだか全然わかりませんでした。
実際いまも、ちゃんと記憶できていないので、たまに意味がわからなくなります。

…そんな僕に共感していただける方へ、この記事を贈るのです。

■ガラケーとは
ガラパゴスケータイ”の省略語のようです。

ガラパゴス諸島、という諸島がありまして、その“ガラ”なのだそうですが。
このガラパゴス諸島、周りの島との距離もあり、特殊な環境にあるのだそうです。
そしてその特殊な環境下、ほかの島や広く世界の環境に適応するわけではなく、ガラパゴス諸島ならではの独自の進化をする動物や植物が多いのだとか。

そんなところから、日本の携帯電話のように“世界の環境に適応するというわけではなく独自の進化をすること”を、ガラパゴス化などと言うそうです。

なので、世界に先駆けてカメラを付け、iモードのようなキャリア向けインターネットサービスを作り、黙々と“日本人ならでは”といった“ガラパゴス化”をしてきた携帯電話を、ガラパゴスケータイ=ガラケー、と言うのだそうな。


決して、色とりどりのデザインから選べる“柄ケー”という意味ではない!
(僕、最初、一瞬そう思ったんだけど…ね)

と、そんなわけで。
「スマートフォン」と対になるのがいわゆる「ガラケー」でしょうか。

これを憶えておけばきっと、相当のケータイ好きか業界用語好きだと思われる…か、またはニュースを読める賢い人と思ってもらえるかも知れません。
(決して誰もが知っている一般常識ではないと思います、僕は)


っつーことで、頭のどこかにメモっておくと役立つかも知れません。
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数年間カノジョいないですが“恋”はけっこうしてます。
…玉砕経験ばかりが増えちゃうねこれじゃ!
どうも、恋するサラリーマン、くろまうすです。

Ameba News [アメーバニュース]にまんまと釣られました。

「男からみたモテる女と、女からみたモテる女は違うの!?」
(ニュースソースは「男からみたモテる女と、女からみたモテる女って本当に違うの?」)
人気雑誌が集結しているサイト『X BRAND』。この中にあるananの特集で、『男からみたモテる女と、女から見たモテ女は本当に違うの?』という、思わず惹きつけられてしまう(!)記事を見つけたので少しご紹介しますね。
ご紹介に惹きつけられてしまった(!?)僕。
女目線でモテる女の子というのは......パステルカラーの服を好み、いつもスカートで、アクセサリーがキラキラしている人なんだとか。

一方、男性から見たモテる女性は露出度が高くて、体のラインが出ている、胸元が強調されている、など、けっこうフェロモン全開な感じ!?
なるほど。わかります。一理あります。

…けれども。僕が思うに本質は、そこじゃないと思うんですよね。

だって、見た目が好みでも内面がダメじゃ、やっぱり駄目だと思うんですもの。
特集の中ではその他にも「モテると思うしぐさ」が紹介されていますが、それも人それぞれ。
どんだけしぐさだけが素敵だって、内面は内面。

やっぱり、オトコもオンナも内面を磨くべきですよきっと!!


…とか、悶々と考えているあたり、僕もまだまだダナァと思いますけれども。

飲み会の話題とか、それこそこのデータを上手に使ってモテる自分に成っていく、というのは楽しそうですね。

TBSラジオ推薦曲で耳にした、中川あゆみ『事実~12歳で私が決めたコト~』


正直、センセーショナルすぎてまず受け入れられない。
中川あゆみさん『事実~12歳で私が決めたコト~』の歌詞

苦しすぎます、この歌は。

壮絶体験歌う13歳天才シンガー 中川あゆみ「泣ける」と話題
ニュース性、その“センセーショナルさ”はメディアに取り上げられるだけの重みを持っているとは思うのですが、それを歌にするのはキツすぎると思います。

歌詞に描かれているのは、あるひとりの少女の苦悩と“わたしだけで生きる”というような、僕から見ればある種ひねくれた強さ。
それは、本当にこの世に生を受けて歌という表現を扱う人として正しいのかどうか。
本当の親を始めその親族は傷つかないのか。
「捨てられた」かも知れない事実は変わらなくても、それをあえて歌にし世間へ送り出すべきなのか。
甚だ疑問です。


この歌は、誰に何を伝えるためのものなのだろうか?


僕は、Mr Childrenが好きです。

いつか、桜井和寿が『僕らの音楽』にて。
「星空をつくりたい。星座を描きたいわけじゃない。
 歌はいろんなものに見える星空であればいい。
 聴く人がそこに星座を自由に描けるような作品である歌をつくりたい」
というようなこと(かなり意訳になってるとは思いますが)を語っていた。
それで良いと思う。

事実は、メロディにのせるのではなくて、言葉や文字で伝えれば。
インタビューやエッセイで伝えればいいんじゃないだろうか。

僕は、星空のような歌が好きだ。


…僕がいつか歌を歌うとしても。
「アルビノの事実」を歌いたくはない、と強く思った。

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